1955-10-14 第22回国会 衆議院 文教委員協議会 第2号
かつて社会教育に対して私どもは非常に力を入れて五百万円しかなかった予算を一躍その十七倍も取って、当時の寺中局長なんか一生懸命になってやり出した。私は非常によい運動だと思っておりましたけれども、これも今は龍頭蛇尾で何もやっていないじゃありませんか。社会教育といって文部省がばく然たる対象を持っていた運動すらできない。
かつて社会教育に対して私どもは非常に力を入れて五百万円しかなかった予算を一躍その十七倍も取って、当時の寺中局長なんか一生懸命になってやり出した。私は非常によい運動だと思っておりましたけれども、これも今は龍頭蛇尾で何もやっていないじゃありませんか。社会教育といって文部省がばく然たる対象を持っていた運動すらできない。
○政府委員(寺本広作君) 先ほどから寺中局長から申し上げました通り、利用者の約半数を占めておる、こういうことで、財源とにらみ合せます場合には相当大きな財政的な手当が要ると考えますので、財源とにらみ合せなければ、今ここでこれを直ちに無料にする方針であるということは申し上げかねる状況でございます。
そこで私も非常に無理をしましたので、予算などは——そこに社会教育局長もおりますが、この寺中局長が会計課長からひっくり返って昇格した当時でありまして、当時の会計課長は少し失言したのです。その失言がたまたま予算の獲得にわれわれとしては非常に大きなプラスをしてとうとう作ってしまった。そういうようないきさつがありまして、まあいろいろありますが、作った以上はどうしても育成強化してもらわなくちゃしようがない。
国立近代美術館につきましては、私がちょうど委員長の時分に、そこにおられる寺中局長から、大いに熱心な要望がありまして、あのとき予算の問題で、私相当反対の気持ではあつたけれども、寺中局長の切なる御要望と申しましようか、そういう関係で国立美術館が創設されたわけであります。あのとぎ私は、実は京橋にその場所を設けるということには反対した。
寺中局長は、口を開けば自主性は阻害しないと言つておられるのでございまするけれども、法案の実体はかくのごとく明確に自主性を阻害しておるのであります。 第三、申すまでもなく、社会教育としての青年学級は、青年の自主的意思の決定に基いて、青年自体が行うべきでございまして、外部的拘束を加えるべきではありません。
その際大臣としては、そのようなことは毛頭考えていないということで、了解いたしたのでございますが、ただいま寺中局長の答弁を聞いてみますと、今日青年学級の教科書が、国定として出されてはおりませんけれども、すでに本年の三月、十三億四千万円の予算を計上した際、その半額はテキスト代として充てられたというところから考えてみるならば、学校教育の面においては、国定教科書にすることは、大きな抵抗があるので、これを社会教育
それから旅券交付の旅券法適用の問題でありますが、外務省も、更には寺中局長も生命、身体、財産云々と言いますが、それは恐らく滑稽に類するものだと私は考えます。
ちよつと感ずるとね、あの一億円は寺中局長が会計課長時代に大いに頑張つてやられたのだが、その会計課長から社会教育局長に持つて行つたような感じがするのですが、如何ですか、大臣。これは一本に文化財保護委員会でやつて行つたほうがうまく行くのじやないですか。
是非これは寺中局長あたりはこういう点で非常に造詣深いんですから是非一つ考えてもらいたい。
それをともかく斯界の長老とは言え、斎藤先生を指名して、而も寺中局長の言葉を以てするならば、一切任したのでありますれば、斎藤先生から書かれた歌詞には一言も文部省としては喙を寄れなかつたと思います。そこに歌人としての斎藤先生の個性というか、趣味というものが非常に多く出ておる。そういう歌詞を新らしい時代を画する奉祝歌として今出されることは果して適当かどうか。
ところが先ほど寺中局長の話では、斎藤茂吉さんのわけのわからん歌を、これを式典の一つの何ですか、荘重を増す意味ではないでしようが、そういう意味があると思うのですが、わけのわからん歌を式典に一つ入れるというようなことは、その式典を簡素化、合理化させる方向とは非常に違つて来るのではないだろうか。
○岩間正男君 寺中局長にお伺いしたいのであります。文部予算につきまして先ず総額の問題でありますが、総額において昨年度より二十六億文部所管のほうにおきましては殖えておる。更に他省関係費を入れますと五十億何がし絶対額は増加しておる、こういうお話なんでありますが、これでいいのでございますか。
○浦口委員 それは寺中局長、全然実情を御存じないのです。ここは行政監察委員会じやございませんので、私あまりそのいきさつをここでこまかく申し上げるのは省きますが、結局これは非常に日活当局の不信行為だということははつきりしておりますので、私は文部省をその意味では責めるつもりはありません。
十三日の委員会で寺中局長は、問題は大蔵省に行つている、大蔵省の決定にまつてこの買収が可能であるということを、私に答弁されておる。ところが、この問題が神戸商船大学の予算とからんで参りまして、十五日の小委員会でありましたか、池田大蔵大臣が参りましたときに、この問題に触れまして、この買收は好ましくない、できればやめるべきでないかというふうな意見を漏らされたように、私は漏れ聞いております。
そこで私は今日の七日と十三日の委員会において、寺中社会教育局長にも質問をしたのでありますが、七日の委員会において、寺中局長は私に対しまして、決して二重売買の疑いはない、これは東京相互と東京信託との問題で、文部省は関知しないということを答弁されておる。
こういう関係がすこぶるどうも解釈に苦しむところでございまして、この点につきまして寺中局長さんでございましようか、どなたかひとつ御答弁願いたい。
昨日寺中局長から、いまさらこの予算の科目の変更は不可能だという御答弁がありました。この予算が国会を通過した後でありますならば、寺中局長の言われることは了解いたします。しかし現在は審議中でありまして、審議権は国会にあるのであります。と同時に、政府の方におきまして、これがまだ通過しないうちは自発的に修正も可能と考えるのであります。
そこでこの間の寺中局長の答弁に関連してでありますが、私なぜこういう疑問を持つたかと申しますと、近代美術館の本質に対して、私としてこれを買收することは非常に不満であるということと、それから今年組んであります二十六年度の一億の予算が、もう一月余りで無効になるというふうな段階において、突如として買收されたというふうなことが、一つの疑惑を與えたのであろう、こういうことを考えたわけであります。
なお、本日ここに資料がなければ、他日資料で出して頂いて結構でございますが、それは先般寺中局長が応急基準に不足の分を如何にして解決するかという場合に、〇・七坪に不足するから更に予算を欲しいと要望するか、或いは戰災都市が非常に立ち遅れておる、特にそういう戰災都市に限つて、戰後人口の移入が多かつたために、校舎が非常に挾隘を極めておるから、従つて戰災都市の教育施設復旧という立場から予算を獲得するかについて検討中
えてのことでございまして、特に今後この災害の起りますたびに、毎年よけいな苦労をして、しかもでき上りが非常にまずいということになつて行くよりは、この災害の場合にはよほど基本的な救済方法を考えて行かなければならぬということとも考え合せて、二十七年度をもつて、本年度までの災害関係を全部完了させるという建前を一方にとりながら、この災害に対する対策をどういうふうに持つて行こうかという意味で研究いたしておりまして、先ほど寺中局長
それに三分の二は地方負担でありますから、合せますと二年半で四十五億で大体五〇%までの基準が完成する、こういうふうに考えていいと思うのでありますが、そういうふうになつて参りますと、われわれがこれを立法したときの目安は、大体ある程度完成した姿を予想したわけでありますが、二百億五年計画となつていた線は一応御破算にして、今、寺中局長の言われたような線で当分行かなければならぬというふうに考えざるを得ないと思うのですが
それは先ほど寺中局長のお話によりますと、大体今基準の一七%程度の施設を持つている学校を五〇%までに上げるために、一課程当り二十四万円補助する。しかもこの二十四万円は三分の一に当るので、三分の二は地方財政が負担するということになる。